南北朝は二つの朝廷が並立した時代。足利尊氏や北条時行らが活躍。北朝側の勝利で終わる。
「逃げ上手の若君」の舞台である南北朝時代は、日本史の中でも特に複雑でわかりにくい時代の一つです。
なぜ朝廷が二つに割れ、武士たちはどのような思惑で動いたのか?北条時行はどう動いたのか?
本記事では史実や原作を元に考察しています。
- 南北朝時代とは?
- 北条時行はどう動いたのか?
- 実在する武将
逃げ上手の若君|南北朝時代とは?分裂の理由と勢力図・史実の流れ
南北朝時代は、鎌倉幕府滅亡後に始まった建武の新政が武士社会と噛み合わず、後醍醐天皇と足利尊氏の対立が決定的になったため起こりました。
その結果、全国で長く戦乱が続き、地域の武士たちの立場も大きく揺れ動きます。
南北朝時代:吉野(奈良)と京都に二つの朝廷が並立した時代
南北朝時代とは鎌倉幕府が滅亡した後、建武の新政を経て、京都と吉野(奈良)に朝廷が分かれ、南朝と北朝という二つの朝廷が並立した時代のことです。
鎌倉時代中期から、皇室は持明院統と大覚寺統という二つの家系が交互に即位する両統迭立というルールを運用していました。
しかし、大覚寺統の後醍醐天皇は「自分の子孫に皇位を継がせたい」と願い、この交代制を打破しようと考えていましたよ。
分裂の主な理由:後醍醐天皇と足利尊氏の対立
そのような中で、1333年に鎌倉幕府が滅亡します。後醍醐天皇は建武の新政と呼ばれる政治改革をスタートさせましたが、この政策は公家中心だったため、武士たちの不満が一気に高まりました。
さらに1335年、北条氏の遺児である北条時行が挙兵して鎌倉を奪還する中先代の乱が起きます。
中先代の乱についてはこちらもぜひ。
鎌倉を守っていた足利直義は敗れ、関東は一時的に北条方の支配下に入りました。
この危機に、足利尊氏は後醍醐天皇に追討の許可を求めたものの得られず、独断で出兵して短期間で時行の軍を撃破しましたよ。
足利尊氏についてはこちらもぜひ。

この勝利によって足利尊氏の武士からの支持は一気に高まりました。その後、足利尊氏は後醍醐天皇への反旗を翻します。
1336年には光明天皇を擁立して北朝を樹立し、室町幕府の礎を築きました。
一方、都落ちした後醍醐天皇は奈良の吉野に南朝を開きます。
正統な天皇の血統と三種の神器を手元に置いていた後醍醐天皇は、自らこそが正当な皇位継承者であると主張し続けました。
こうして1つの国に2つの朝廷が並立するという、世界史的にも珍しい分裂状態が生まれたのです。
勢力図・史実の流れ:北朝に統一される

引用元:知識の泉
当初、南朝と北朝はそれぞれの皇統を主張し、互いに正統性を否定し合いました。しかし、長期間の戦乱が続くにつれ、戦場の消耗や幕府の内乱が重なり、双方とも長期的な戦争継続に限界を感じるようになります。
最終的に1392年、足利尊氏の孫にあたる足利義満の調停によって南北朝は統一され、長い動乱は幕を閉じました。
逃げ上手の若君|南北朝時代に北条時行はどう動いたのか?
北条時行はかつて一族を滅ぼした仇敵であるはずの後醍醐天皇から赦免を得て、南朝の武将として暗躍しました。
中先代の乱の後は南朝の武将として暗躍
北条時行は、鎌倉幕府滅亡からわずか2年後に信濃で挙兵し、旧北条方の武士をまとめ上げて鎌倉を奪還します。この出来事は、中先代の乱と呼ばれていますよ。
しかし、勝利は長く続きませんでした。足利尊氏が独断で出兵し、短期間で鎌倉を奪い返します。
その後、北条時行は正面衝突を避けて信濃方面へ退却します。
その後の動向は史料が少なく、しばらく歴史の表舞台から姿を消しますよ。
そして原作第20巻170話で描かれるように、かつて一族を滅ぼした仇敵だった後醍醐天皇側に赦免を得て、南朝の武将として暗躍するようになります。
1352年、観応の擾乱で幕府が混乱した時期に、北条時行は南朝側の武将として再び歴史の舞台に姿を現します。
その後、新田義興や義宗らとともに鎌倉へ攻め入り、一時的に占領に成功。幕府の内紛という好機を逃さず動いた判断力は見事でした。
しかし1353年、ついに捕らえられ、龍ノ口で処刑されて波乱に満ちた生涯を終えたることになります。
逃げ上手の若君|南朝で活躍したのキャラのモデルとなった武将は?
南朝側を代表する武将としては、楠木正成、新田義貞、北畠顕家などが挙げられます。
楠木正成:足利尊氏と敵対
後醍醐天皇に仕え、独創的な戦術で大軍を相手に粘り強く戦った武将です。千早城や赤坂城での籠城戦では、地形を生かした戦いぶりが特に評価されています。
当初は足利尊氏と協力関係にありましたが、護良親王の死をめぐって対立が深まり、最終的には決裂しました。
護良親王についてはこちらもぜひ。

その後、湊川の戦いで敗北し、弟とともに最期を迎えました。「逃げ上手の若君」では鋭い戦術眼と柔軟な発想を備えた人物として描かれ、北条時行に強い影響を与える役割を担っています。
新田義貞:鎌倉幕府を倒した立役者の一人
新田義貞は、後醍醐天皇の命を受けて挙兵し、鎌倉を攻撃したことで知られています。北条時行の一族と敵対した立場にあたる人物でもありますよ。
鎌倉幕府崩壊後は、後醍醐天皇の親衛隊である武者所の頭人として重責を担いました。作中では、豪胆さと人情味を併せ持つ人物として表現されています。
北畠顕家:公家出身の武将
北畠顕家は公家の出身ながら陸奥守として東北へ赴き、奥州の武士団をまとめ上げて二度の西上作戦を成功させました。
作品では、勢いのある行動力を持つ美少年として描かれ、北条時行にとっても大きな刺激となる人物です。
まとめ
今回は、南北朝時代について考察しました。
- 吉野(奈良)と京都に二つの朝廷が並立した時代
- 北朝に統一された
- 北条時行は南朝方と協力して行動
- 楠木正成、新田義貞、北畠顕家らが実在した
南北朝時代における北条時行は、南朝と連携して鎌倉を奪還に成功します。しかし史実では、北条時行は最終的に処刑され、南朝は北朝側に吸収される形で統一が進みました。
実在する武将も数多く登場するので、この機会に南北朝時代について理解を深めていくとよいでしょう。
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本ページの情報は2026年4月時点のものです。最新の配信状況は公式サイトにてご確認ください。




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